雪の降らない地域で雪が降ると、特に夕方から少し切なさを感じるのはなんでなんでだろうか。この前の大寒波のときも、同じだった。特に雪に切ない思い出があるわけでもないのに。
そんな謎の切なさをカタルシスに誘うには、切ない映画にジーンとするのが良いかもしれない。
ということで、先日見直した「ほしのこえ」の感想。
新海誠監督が有名になる前の映画
本格的な映画としては、ここから新海作品としてカウントされるんじゃないかなと思います。自主制作で30分に満たない長さの作品。次の「雲の向こう、約束の場所」も、その次の「秒速5センチメートル」も、単館系の映画館中心とはいえ全国公開でした。が、この作品はミニシアターでの上映。マイナーな作品です。
出会いはDVDレンタル
僕の学生時代は、まだオンデマンドのサブスクみたいなのが無く(あったかもしれませんが、すごくマイナーで)、ビデオ/DVDレンタル全盛期でした。旧作1週間100円のキャンペーンか何かで色々漁っていた際に見つけた記憶があります。有名作品のように何本も並んでるわけではなく1本だけぽつりと。
商用アニメにしてはチープに感じてしまう
絵・CGはチープに感じます。ほぼ1人で作った映画と知ればすごいことだと思うんですけどね。一方、背景については、そんな中でも綺麗だと思いますし、演出含め今の作品にも通じるものがあります。ただ、パッケージだけでは粗い作画が目立ってしまいますし、実際見ていないのに演出なんかもわかりません。
また、戦闘シーンや切なさのベクトルは「トップをねらえ!」に似てるところがあり、オマージュと呼ぶべきものとは思いますが、人によってはプロの商用作品ではなく、同人作品の域を出ないと捉えてしまうかもしれません。
でも、当時のブームとマッチしていた
最初に目に入る印象だけであれば、何も知らない小僧は手に取らなかったと思います。しかし、「私たちは、たぶん、宇宙と地上にひきさかれる恋人の、最初の世代だ」というキャッチコピーに引っかかったのです。
その頃というのは「世界の中心で、愛をさけぶ」や「いま、会いにゆきます」のような切ない恋愛モノが流行していた頃です。いわゆる純愛ブームです。僕も漏れなく小説を手に取っていました。新海監督がそのブームに乗っかったのか、たまたまなのかは知りませんが、世の中でブームの題材に近く、僕もそのブームに流された1人、キャッチコピーに惹かれるには十分でした。
SFでスケールは大きいけど、身近な切なさ
この作品は地球と宇宙に離れ、メールのやり取りも年単位でかかってしまう…という状況での恋愛が題材です。
自分と同じ世代、携帯がなく相手の状況がわからないもどかしさ、メール出しても返ってこない(読んでるかもわからない)もどかしさ、それを知っている世代(昔、実際に体験していた世代)にとっては、身近な切なさをSFのスケールに拡大したようなものだとおもいます。
そして新海節
違う記事にも書きましたが、いわゆる新海節とよばれるような演出・表現はこの頃からあります。
「こってりした、どこか小説や詩の一節のようなセリフ」「ピナクル(クライマックスの中でも特にインパクトが強いところ)が特に印象的な演出」「ピナクルの後はデクレシェンドして、アフターテイストの長いシングルモルトのような余韻が残る。」
この緩急が激しい構造を30分に満たない作品の中でやっている分、他の作品よりも強く感じます。
〆
新海監督らしい作品だけど、昨今のアニメに比べればチープに感じてしまう側面もある作品。個人的には好きでおすすめしたいけど、人を選びそうではあるので、どの程度人に推すのか迷う作品。そういう作品について最後に一言書くと、まだ写メが最新技術だった頃、携帯を持ち始めたばかりだった世代にとっては、何か感じることがあるかもしれないということ。