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【ネタバレ注意】【感想】【考察】FINAL FANTASY XVIのエンディングについて

前の記事で、「エンディングについてはネタバレしつつ話したくなるので別記事で」と書きましたが、そのネタバレ満載な記事です。自分の中での情報整理という意味でも、こういう記事を書いておきたいと思って。

 

なので、ネタバレ嫌な人は閲覧を避けてください。

(文字色やスクリプトで避けようとしても、閲覧環境によっては意味をなさないケースもありますから・・・。改行とか、思いつく限りの考慮はしようと思います。)

 

では、行数を空けて本編へ

 

 

 

 

大前提

「プレイヤーの想像に任せる」というような終わり方をします。

そして僕は「あからさまなご都合主義は趣味じゃないけど、ハッピーエンドが好き」というタイプです。なので、「考察」と言っておきながら、「自分の求める解釈(無理な解釈は無いハッピーエンド)への補完」という方が正しいかもしれません。

また、そのうち公式見解のようなものが出てくるかもしれませんし、出てきたらその内容と大きく食い違いがあるかもしれません。その辺はご愛敬。

 

エンディングで分かれる解釈(クライブは生きてる?死んでる?)

主人公であるクライブ、主要キャラの一人でクライブの弟のジョシュア。この二人の生死がエンディングの解釈として分かれるところだと思います。なので、分かれるパターンとしては以下の4パターンになるかなと思います。

  1. 2人とも生きている
  2. 2人とも死んでいる
  3. クライブは生きている(が、ジョシュアは死んでしまった)
  4. ジョシュアは生きている(が、クライブは死んでしまった)

この中で僕が推すのは3の「クライブは生きている」です。クライブが生きていると言える理由を色々探しました・・・

ジョシュアが生存していない理由

僕はジョシュアが死んでてほしいと思っているわけではありません。ただ、さすがにジョシュア生存は無理があると思う点がいくつかあり、ジョシュアは絶命してしまっていると解釈しています。以下はその理由です。

ジョシュア絶命の演出がで完全に息絶えている

最終章をやった人はわかると思いますが、さすがにあの演出で「実は生きていました」は無理があると思います。序盤であれば、いくらでも取り繕う余地はあると思いですが、終盤も終盤ではさすがに・・・。

クライブがジョシュアの傷を治したのはフェニックスの力

アルテマ戦後、クライブがジョシュアの傷を治します。アルテマが一族を蘇らせた「完全生命魔法レイズ」とも思いましたが、傷を治した時の演出(エフェクト)はフェニックスのものでした。作中でも語られている通り、フェニックスの力は命を蘇らせるものではありません。FFでフェニックス/フェニックスの尾と言えば蘇生アイテムのイメージが強い中で、敢えて蘇生ではないことを強調してたのは意味がありそうと思ったりもします。なので、あれは遺体を綺麗な状態にする的なものだったのではないでしょうか?

あり得るパターンとしては、クライブがアルテマの力を吸収して、フェニックスの力がパワーアップしているというケース。ただ「アルテマの力は手に余る」とクライブが発言していますし(かなりの無理をしないと行使できない)、その後クライブが理を破壊する時にアルテマの力を行使するする際には青い光が一時的に漏れています。なので、ジョシュアの傷を治したのはピュアなフェニックスの力であり、命を蘇らせる力は無いと考えます。

 

メティアについて

月のそばにある赤い星。ジルは少年期も含め、そのメティアにクライブの無事を願っています。そのメティアについて考えてみます。

メティアはミサンガ?

最初はメティアはミサンガ的なものかと思いました。切れたら願いが叶う的なアレです。ジルの願い(クライブに帰ってきてほしい)という願いを叶えたので輝きを失ったのではないかという事です。

メティアの命の灯?

しかし、メティアが輝きを失ったとき、ジルは大号泣しています。あの号泣をうれし涙と解釈するには無理があります。なので、あれは命の灯のようなものではないかと考えます。(つまり、北斗の拳死兆星の逆バージョン)

メティアは消えていない

エンディングでメティアは輝きを失っているかのように見えます。しかし、よく見ると輝きがなくなっている訳ではなく、弱くなっているだけなんです。このことから「死んではいないのではないか?」という想像ができます。

メティアは赤い星/赤と言えばロズフィールド

クライブとジョシュアをイメージさせる色は赤です。そしてメティアの色も赤です。前述したメティアの光=命の灯と絡めると、赤いメティアの演出は兄弟の命の灯ととらえられると思います。その光が弱くなった・・・つまり、どちらかが絶命してしまった。という暗示なのかもしれません。しかし、言い方を変えればどちらかは生きている。ジョシュアの生存には無理があると考えると、クライブが生きていると考えられます。

 

ファイナルファンタジー」という書物の登場シーンについて

スタッフロールの後に「ファイナルファンタジー」という本が登場します。ただ、著者はジョシュアになっています。この辺についても考えてみます。

クライブは剣ではなくペンを執ること期待された

最終章のサブクエストでハルポクラテスにクライブはこう言われています。それを実現した本がエンディングにでてきた「ファイナルファンタジー」だったのではないでしょうか?

著者はジョシュア?

でも明確に「著者:ジョシュア・ロズフィールド」とあります。ド直球にとらえるとジョシュアが書いたと思うのですが、ハルポクラテスがジョシュアに次代の語り部を期待しているという事をハルポクラテスはクライブに話します。これを聞いていたクライブがペンネーム的に(弟の名を残すために)その名を使ったという想像もできます。

タイトルがファイナルファンタジー

これも気になる点です。

メタ的な意味を除けば、劇中で出てくるのはアルテマとの最後の戦いだけ。アルテマはこの世界を「最後の幻想」にしてくれると言い、クライブは「究極の幻想」を打ち破ると言います。
つまり、ファイナルファンタジーという言葉に関係するのはクライブと確実に消滅したアルテマだけなんです。

プロローグ・エンディングの語りのは「ファイナルファンタジー」の一節?

あの本に影響を受けた子供たちがイフリート・フェニックス・バハムートごっこをするあたり、あの本の内容はFF16内容そのものか、その伝承のようなものでしょう。そう考えると、ゲーム冒頭の語り・そして最後の「クリスタルを巡る探求の旅は終わった」という言葉はエンディングに出てきた本:「ファイナルファンタジー」の一節ではないかと思います。

そして、その語りの声はクライブの声でした。もし、ジョシュア生存を明確に匂わせたいのであれば、ジョシュアの声でやれば良いと思うんです。ここをクライブの声にしたのは「クライブ生存を匂わせたい」もしくは「生存したかどうかは余白にしたい」のどっちかだったんじゃないかなと思います。

聖女と使徒

同じシーンにセリフだけですが「聖女と使徒」という言葉も出てきます。これは、ジョシュアの思い出ではなく、クライブとバイロンの思い出なんです。わざわざその名前を出すあたり、クライブを匂わせているんじゃないかな・・・と思います。

 

その他細かい匂わせ(思いつく限り)

サブクエスト:白銀の君

「下を向かずにいられるのは、あなた(クライブ)がいるおかげ」とジルは言います。そしてエンディングで最後にジルはうつむき泣いている状態から顔を上げます。決してクライブを見つけたというような表情ではないですが、探しに行こう的な決意のようには見えなくもないです。匂わせっぽくないですか?

エンディングのトルガルの遠吠え

エンディングでトルガルは遠吠えをあげます。

狼や犬の遠吠えの意味を調べてみると、仲間へのコミュニケーション手段だそうです。悲しさや寂しさは「クゥーン」「キューン」みたいな感じだそう(これには甘えるみたいなのもあるみたいですが)。

つまり、トルガルはクライブが死んでると思っていない。生きている事への伏線ととらえれるかもしれません。

ジルから貰う飾り布

(多分、とあるサブクエストをやっていることが条件ですが)ジルがクライブに「帰ってこられるように」と飾り布を渡します。「だいじなもの」ですが、思い出の品としてクライブの部屋に飾られるものではない、つまりずっとクライブがジルの想いと一緒に持っているんです。

 

最後に

クライブ生存の伏線のようなものはたくさんさる

2週目やりながら振り返ったり、いろいろ思慮するとまだまだ出てきそうですが、すこし物語を反芻しただけでもクライブ生存の伏線はそれなりにあると思います。そして、ご都合主義になり過ぎないように考えると、ジョシュアは死んでしまったという解釈の方がしっくりきます。

結局のところ、(開発者の意図としても)正解がないのが正解の気がする

少なくても、アルティマニアとかで公式見解とかが出ない限りは。

つまり、よっぽどのこじつけ解釈でない限り、プレイヤーの解釈次第ということ。終わり方も、大団円ではないものの、まとまりのあるものだったので。

当たり前のことをいまさらと言われるかもですが・・・、最終章のサブクエスト「価値ある孤独をたたえよ」で執行者(害となる書物を処分する人)がこんなことを言います。

  • 歴史の解釈に正しさは無い
  • 事実にどんな意味を与えるかの問題でしかない
  • 故に、人の数だけ正しさがある
  • お前が正しいと思えば正しいとなるように

最後に「またどこかで会うかもしれない」と意味深に去っていくので、もしかするとDLCとかの伏線なのかもしれませんが、このセリフ自体がプレイヤーの解釈に任せるぞというメタ的要素なのかもと思ったり。