
暑さが落ち着きをみせはじめ、空気が涼しくなると、少しセンチメンタルな感情が沸いてくる。そんな季節に公開された劇場用実写映画『秒速5センチメートル』。
秒速5センチメートルと言えば10月ではなく3月に上映するべきだろう。と思わなくもないけど、学生時代に劇場挨拶まで足を運び、大人になってからも度々観ている秒速5センチメートル。アニメの実写化というとダメなケースが散見されるとはいえ、外す選択肢はなく、有休とって公開日に鑑賞。その感想。
原作の振り返りも踏まえながらの感想で、大いにネタバレ含みます。ご注意ください。(行間あけて本文)
- 原作アニメの秒速5センチメートルは観る側に解釈を求める作品
- どこかリアリティのある切なさが僕の心を掴んだ
- そして、実写映画 秒速5センチメートル は、原作アニメを大衆向けにしたものだった
- しかし大衆向けにわかりやすくした弊害もあった
- 原作リスペクトは感じた
- まとめ
原作アニメの秒速5センチメートルは観る側に解釈を求める作品
原作アニメは短編3話の連作構成。まずはそれと、僕の解釈を振り返りますが、大いにネタバレ含みます。
第1話「桜花抄」で小中学時代の貴樹と明里の淡い(多分)初恋と、子供にはどうにもならない距離、見えない未来へのそこはかとない不安が描かれる。
第2話「コスモナウト」では子供にはどうしようもない距離からか、貴樹と明里は疎遠になっている。明里と離れたことが心に引っかかっているのか、何か漠然としたものを求める貴樹を、主に同級生で貴樹に恋をする花苗視点で描く。
第3話「秒速5センチメートル」では東京で社会人となっている貴樹。しかし、目指していた"何か"も日々の忙しさの中薄れ、生活の弾力は日々失われ、貴樹は会社をやめる。そんな時、貴樹に明里との思い出が過る。もう戻れない思い出は残酷でもあり、でもどうしようもなく綺麗でもある。その思い出とともに、婚約者と幸せそうな明里と孤独な貴樹対比的に描かれる。最後に貴樹は明里らしき人物とすれ違うも、その人を追わず、振り返り歩きはじめる。
こう書くと、1人の男性の歩みを淡々となぞっている物語。それをどう解釈するかは観る側に委ねられているのだと思います。最後のシーン、明里らしき人物とすれ違ったあとの貴樹の表情は晴れやかで、場面も暗いイメージのシーンから良く晴れた春のシーンに移り変わっていることから、「辛い日々のなか、思い出にも引っ張られ続けてるけど、振り返ったことで踏ん切りつけて、先に進みだす」と僕は解釈しています。
どこかリアリティのある切なさが僕の心を掴んだ
僕はこの作品ほどドラマチックな人生を送ってきていない。でも、小中学生の頃わりと仲良くしていた幼馴染の女の子はいて、高校生では人並みに色恋はあり、それ以降お付き合いさせていただいた女性も何人か。そして、そういった過去は思い出であり、もう戻れない残酷さを突きつけるものでもある。そんなものを抱えつつ、社会人になり、会社を辞めたいとか思い悩むほどではないけど、辛いときは辛い。
特別なことなんて何もないし、ここまで汎化して書けば、結構な人に当てはまりそうな人生でもある。でも、これは秒速5センチメートルでの貴樹の歩みの、ドラマチックでもロマンチックでも無いバージョンとも言える気がする。つまり、秒速5センチメートルは僕ら一般人が過ごした青春~青年期の、とても綺麗なところだけを、ドラマチックに脚本した映画なんだ。
そして、思い出は綺麗なものであり、残酷なもの。そんなものを受け入れて、先を向いてみようかというのも、日々疲れ、もう戻らない日々を思い出してセンチメンタルになってしまう時には必要なこと。だから、僕の心を掴んだのだと思う。
そして、実写映画 秒速5センチメートル は、原作アニメを大衆向けにしたものだった
最近の新海誠監督の作品は、(良くも悪くも?)大衆向けになっては来ています。しかし、秒速5センチメートル含む新海誠監督の初期の作品は、決して大衆向きではありませんでした。「新海節」と呼ばれる(もしかすると僕が勝手に呼んでいるだけかもしれない)クライマックス偏重のとがった演出も、前述のとおり解釈を観る側に求める物語構成も、人を選びます。
そんな秒速5センチメートルを、大衆向けに構成しなおしたのが、実写映画 秒速5センチメートル。実写映画では原作と違い、大人になっている貴樹と明里が昔を振り返る形で物語が展開します。なので、どんな感情で思い出に浸っているのか・・・が解り易い。そして、原作ではあまり描かれなかった大人になった明里の想いもしっかり描くことで、貴樹が「辛い日々のなか、思い出にも引っ張られ続けてるけど、振り返ったことで踏ん切りつけて、先に進みだす」までの過程をクリアに描いています
(とがった演出も控えめです。)
しかし大衆向けにわかりやすくした弊害もあった
結末は原作と変わりません。貴樹と明里が結ばれるわけでもなく、貴樹が「辛い日々のなか、思い出にも引っ張られ続けてるけど、振り返ったことで踏ん切りつけて、先に進みだす」物語です。しかし、貴樹の心情変化に大人の明里の想いが直接的に関与します。だからこそ、視聴者の解釈に委ねることの無いようになったのは事実ですが、そうするために明里と貴樹の再会のニアミス展開が追加され、再会できないじゃなく明里の意思で再会しないとはっきり描かれます。別に、貴樹と明里が再開してくっついてほしいとかではないですし、再会を選ばなかったのもポジティブな理由ではあります。ただ、再会に匂わせが強すぎて、「やるよやるよ…やっぱやんないよ」ってノリに感じに思えてしまったんです。物語を解り易くするために明里の想いを貴樹が受け止めるのは必要だったのかもしれませんが、もう少し間接的な展開・脚本に出来なかったのだろうか?とは思います。秒速5センチメートルでの2人の間のギャップって、時間や距離、大人への成長の過程のような漠然としたものによって離れていってしまう感じだと思うので、直接的で余分なものも付け足してしまった感が拭えません。
もしかすると「男の恋愛は名前を付けて保存、女の恋愛は上書き保存」を、綺麗にくっきり書きたかったのかもしれないですけどね。
原作リスペクトは感じた
原作と違う箇所は多々あるものの、原作アニメの僕の解釈と実写映画から僕が捉えたテーマは一致しており、カットや役者の演技も原作リスペクトしていると感じたので、個人的には実写化アレルギーの症状は発症しませんでした。
まとめ
原作の忠実な再現ではありませんが、アニメの実写化だからと言って遠ざける感じの作品ではないと思います。原作リスペクトも確かに感じましたし、原作をどう解釈していたか次第ではあると思いますが、原作アニメの補完の位置づけとしても、〇と思います。
一方、原作で足りない部分を補っている点は大衆映画として良いが、原作ファンからすると余分なものも付け足してしまった感は拭えません。